宝鏡奉殿の神勅
日本の神道において、「天壌無窮の神勅」「宝鏡奉殿の神勅」「由庭稲穂の神勅」は三大神勅と言われています。
その二番目は「宝鏡奉殿(ほうきょうほうでん)の神勅」です。これも 日本書紀に出てくるお話で、天照大御神から御子である天忍穂耳尊に授けられたお言葉です。
「この時に天照大御神、手に宝鏡(たからのかがみ)を持ちたまひて、天忍穂耳尊に授けて、祝(ほ)ぎて曰(のたま)はく「吾が児(こ)、この宝鏡を視まさむこと、当(まさ)に吾を視るがごとくすべし。与(とも)に床(ゆか)を同じくし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)とすべし」
天照大御神が手に宝鏡を持って天忍穂耳尊に祝って言われたのは「我が子よ、この鏡を見るとき、まったく私を見るのと同じように見なさい。床を共にし、同じ殿にいて神聖なる鏡としなさい」
という意味です。
実際に降りられたのは皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)ですが、その子孫である天皇が住まわれる宮中に鏡はお祀りされていました。
しかし、第十代崇神天皇の御代に、神の勢いを畏れて、宮殿より大和の笠縫邑にお祀りされました。その次の垂仁天皇の御代で、宝鏡は倭姫命に託されました。命は宇陀、近江、美濃と巡り、最後は伊勢国にて天照大御神のお言葉により祠を建てることになりました。これが伊勢神宮の起源といわれており、宝鏡は今もお祀りされています。
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<このページの筆者>
中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
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