三種の神器
「三種の神器」というと、皇位のしるしとして歴代の天皇に受け継がれた宝物であることはよく知られているところですが、改めてどのようなものかを記載してみます。
三種の神器は「八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」からなります。これらは天照大御神から天孫降臨する瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に与えられました。
天照大神、乃(すなわ)ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊の勾玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜ふ
という記述が日本書紀に記されています。
その後について、それぞれ見ていきます。
・八咫鏡(やたのかがみ)
天照大御神のお言葉通り宮中に祀られていましたが、第十代崇神天皇の御代に、神の威力が強すぎるために、宮中から出して、鏡と剣は笠縫邑へとお祀りしました。そして鏡は第十一代垂仁天皇の御代に倭姫命(やまとひめのみこと)に託され、笠縫邑から宇陀へ。その後は近江、美濃と巡り、伊勢の国に来た時に天照大御神からここにいたいというお言葉があり、祠を建ててお祀りすることになりました。これが伊勢神宮の始まりであると言われています。
なお、宮中には代わりの鏡が伝えられました。そして、現在は宮中三殿の賢所にお祀りされています。
・草薙剣(くさなぎのつるぎ)
別名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。須佐之男尊がヤマタノオロチを退治された時、尾を切ると現れた霊剣が天叢雲剣で、高天原に献上されました。そして、三種の神器として瓊瓊杵尊が持って降臨され、その後鏡と一緒に伊勢神宮に移ることになりました。
第十二代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国征伐の途中伊勢神宮に立ち寄られます。そこで倭姫命から天叢雲剣を授けられます。尊は駿河において、賊に欺かれて野原に入り、周りから火を掛けれらます。火打ち石を使って向かえ火を起こして難を逃れたという話とともに、天叢雲剣が周りの草をなぎ払って難を逃れたという話が伝わっています。そこから草薙剣と言われるようになったということです。
東国を征伐された日本武尊は尾張で妻を娶られます。伊吹山に荒ぶる神がいると聞かれ、草薙剣は尾張に置いて、近江へ向かわれました。そして、尾張に戻られることはありませんでした。草薙剣をお祀りしたお社が熱田神宮です。
鏡と同じく宮中には代わりの剣が用意されました。しかし、第八十一代安徳天皇と平氏一門が壇ノ浦に入水された時、玉はのちに浮上してきましたが、剣は見つかりませんでした。そこで伊勢神宮から神剣をいただいたと言われています。それが今も皇室に伝えられています。
・八坂瓊勾玉
瓊瓊杵尊が天孫降臨の際に持ってこられた三種の中で同じものが宮中に伝えられたのはこの八坂瓊勾玉だけということになります。現在は宮中の剣璽の間に納められています。
三種の神器で知っておくべきことは、古代では「玉、鏡、剣」の組み合わせが非常に重要視されていた、ということでしょう。これは今の神道でも変わりません
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<このページの筆者>
中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
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