■神主中島、神道のお話「龍と蛇とスピリチュアルと神道」
自分で霊感が強いという人は、どうも龍のことが大好きな人がかなり多いように思われます。自分(あるいは誰々)には龍がついているとか、あそこには龍がいるとか、空を見上げると雲が龍の形をしていると言ったりします。
そもそも、龍とは何なのでしょうか?
中国の龍
龍は動物の一種のように思えますが、実在はしません。元々は中国の伝説上の生き物です。長い体に鱗を持ち、角があって脚もあり、空も飛びます。瑞獣であり、皇帝の象徴として意匠などにも使われている存在です。伝説としては古代からありますが、その後の中国の歴史の中では、人々から雲を興し雨を降らす存在して崇められました
同じような存在は世界各地であるようで、インドでは龍は仏教を守護する存在として信仰され、中国の龍と習合して日本に入ってきました。
いずれにせよ、龍はあくまでも伝説であって、架空、想像上の生物で実際には存在しない、ということを理解しておかなければなりません。
日本の龍
中国やインドの龍の概念は、仏教や道教と共に日本にもたらされました。
日本では蛇と習合しました。世界各地でも蛇は信仰されることが多い生き物です。長い細い体に、独特の移動方法で素早く動き、脱皮もするというところに神秘性を感じたのでしょう。日本の神話でもよく蛇あるいは蛇のような生き物が出てきます。
また、蛇は川や沼沢、湿地などの水辺にいることが多いですから、日本でも水をつかさどる存在、雨をつかさどる存在「龍神」として信仰されました。稲作には大量の水が必要になります。そこで雨が降る降らないは死活に関わる重要な問題でした。そのため、日本の各地で龍神さんをお祀りした祠があるわけです。
龍神さんに限らず、昔の日本人は神社で日照りの場合は雨が降ることを祈り、また長雨が続く場合は雨が止んで晴れることを祈りました。
出雲大社の龍蛇神講
私は出雲大社に縁がある人間ですから、出雲大社の龍蛇神の信仰についてお話ししておかなければなりません。
出雲の龍蛇神は陸にいる蛇ではなく海蛇です。その昔は出雲大社近くの海岸によく海蛇が打ち上げられました。近くの人が龍宮さんのお使いだということで出雲大社に奉納して、龍蛇神として信仰してきたという歴史があります。
出雲大社では毎年旧暦に十月に全国から八百万の神々が集まって会議をされるという神在祭が行われますが、その時龍蛇神が先導をされるといわれています。そこから龍蛇神も篤く信仰されてきました。この出雲の龍蛇神を篤く信仰する人のために「龍蛇神講」というのが結ばれています。
龍蛇神講についてはこちらのページをご覧下さい
出雲龍蛇神は霊能者系の人が好む龍神とは少し違います。龍蛇神講についてどこかで調べられて、龍神さんの信仰だと入られる方がおられるのですが、やはり違いがあるのかなかなかそういう方たちは続きません。あくまでも出雲大社、そして神在祭の信仰を大切にする人でないと難しいようです。
鳳凰とは
霊感があるという人の話に出てくるのはいつも龍です。私はこれをやや不思議なことだ思っています。というのも、中国の伝説上の瑞獣は龍だけではないからです。龍のほかに有名なのは麒麟、鳳凰、霊亀で、四神と呼ばれています。
麒麟(キリン)と聞くと動物園にいる黄色い首の長い動物を思い出しますが、中国伝説上の麒麟は角を持つ、四つ足の動物で、一角獣と呼ぶのが近いものです。しかし、霊感のある人に「あなたには麒麟がついている」とか言われても何か微妙な感じがします。霊亀はもちろん亀なわけですが、何か鈍重なイメージもあって「亀がついてる」と言われても、これまたあまりうれしくありません。
そこで残るのは伝説の鳥、鳳凰です。なんとなくかっこいい鳥のイメージがあります。日本でも御神輿の屋根上に金色の鳳凰が取り付けられていたりします。霊能者が話すのは龍ばかり、という現状ですが、差別化のために、これからは鳳凰を使う人がトレンドになるかもしれない、と勝手に想像しています。
神社ではあまり言わない方がいい
龍神さんをお祀りしている、あるいは龍や蛇に縁のある神社ならまだいいのですが、普通の神社で龍が見えるとか龍がいるとかいう話は神主にしない方が無難です。
そのようなことを言う人はたまにいるので、また来たか、と思われてしまいます。面と向かって否定はされませんが、興味があるという反応もされないでしょう。霊感のある神主は(私もそうですが)ほとんどいないわけですので、仕方のないことですが、そういう話は内輪だけにしておきましょう。
龍にこだわる必要もない
しかし、龍がついてるとか龍を見たとか、なぜ龍ばかりなんだろうと、ある人に話をしたところ、それは「その人の頭の中に龍しかないからじゃないですか」と言われまして、ああその通りだと納得しました。霊感があるという人も結構先入観とか他から拾ってきた知識に影響されていることが多いようです。
霊的なものですから、その人にはそう見えた、ということであって、龍が正しいとか間違っているとかいう問題ではありません。また、別に龍が見えないからといって問題があるわけでもありませんし、龍が見えるという人をうらやましがる必要もありません。
龍神さんを信仰するもよいし、それに加えてきちんとした神道信仰をするのが非常に大切になります。しっかり学んでいきましょう。
<このページの筆者>
中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
★教会長中島の本が出ました!
日本人が伝えてきた心、そして生き方を、神道、神さまの話を中心としつつ、語った本です。相当な時間を掛けて作り上げました。ぜひ一度お読みください。