紫野の地名について
紫野、いかにも京都らしい地名ですが、その地名の由来を調べてみたところ、「紫野」という地名が出てくる最も古い史書は、平安時代初期の「類聚国史」で、その延暦14年の条に、「桓武天皇が紫野において狩りをされた」と記されています。(参照:角川日本地名大辞典)
現在の京都市北区のあたりは、平安京の北の郊外になり、紫野は平野、北野、蓮台野などと合わせて後世洛北七野と呼ばれた、野原が広がっていたようです。
京都以外の人には意外に紫野という地名は知られておらず、「これは”しの”ですか?」と聞かれることがよくあります。また、紫野というと、万葉集にある額田王の有名な歌
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
この紫野ですね!と聞かれることもありますが、これは残念ながら違い、「(天智)天皇、蒲生野(かもうの)に遊猟しましし時、額田王の作れる歌」とありますので、近江宮が都であった滋賀県であると言われています。
この紫野、標野については司馬遼太郎氏が語られているものがわかりやすく、
「紫野とは、染料の紫をとる紫草がはえている野をいう。
標野のしめはしめ縄のしめと同義で、しめのとは”占められている野”を言い、古代の皇室や貴族が猟をする禁野(きんや)をさす。紫野とは接続していたらしい。 紫野もまた禁野なのである。」
(街道を行く「大徳寺散歩、中津・宇佐のみち」)
紫草の根は薬にもなるようで、紫草を探して掘るのを薬猟(くすりがり)と称して、貴族たちは楽しんだと。また桓武天皇が都を平安京に移された際に、この地を紫野に指名したのではないか、という話です。
平安時代の初めには、紫色の草が一面に生えた文字通りの「紫野」だったのかもしれません。
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<このページの筆者>
中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
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