人生幸せになるために必要なことは三つ

人生幸せになるために必要なことは三つ

 人間誰しも幸せになりたいものですが、現実の世界を生きていると、なかなか簡単ではありません。今の日本人を見て、幸せになるために必要なことはいろいろあるでしょうが、もっとも必要と思われる三つをまとめてみました。

(1)当たり前のことをありがたいと思うこと
 毎日三食の御飯を食べる、それも自分が好きな物を腹一杯食べることができる。今の大半の日本人には当たり前のことです。住む家もあってエアコンもあります。着る服にも不自由しません。これも当たり前のことになっています。
 基本的に人間は当たり前のことをありたがいとは思いません。しかし、今の日本人が享受している豊かな生活は、せいぜいここ50、60年くらいで得られたものであり、昔はそうではありませんでした。また、現在の世界でも貧しい国ではまだ衣食住に困っている人もたくさんいます。
 そう考えてみると、私たちが当たり前と思っていることは実は当たり前ではないのかもしれない、ということに気がつきます。さらに、東日本大震災でよくわかったことですが、現代文明というのは非常に繊細な基盤の上に成り立っています。石油と電力がなくなったら、衣食住、現在のすべての生活がまったく維持できません。そんなもろいものであり、いつ何時そのような状態になるかもしれないのです。
 そこで大切なのは、「当たり前のことをありがたく思おう」ということです。毎回御飯を食べる時に「ありがたい」、エアコンを使う時にも「ありがたい」、車に乗ってどこかに行く時も「ありがたい」…、と何をするにもありがたいと思ってみましょう。
 またさらに重要なのは無いことになるべく不満を持たないということです。人間の体で考えてみましょう。赤ん坊で生まれてグングン成長していきますが、青年期を過ぎると、人間は失うばかりです。体力は落ちるし、髪の毛は抜ける。目は悪くなります。耳は遠くなります。歯は抜けていきます。年を取るのは仕方のないことです。しかし、なくなっていくものを嘆くよりも、今まだ残っているものをありがたく思うべきではないでしょうか。
 人間関係でも同じです。人間関係の中でもっとも大切なものが夫婦です。しかし、好きで結婚したとはいえ、他人だった二人が同居するわけですから、ずっと見ていると相手のアラや嫌なところが見えてきて、そこばかりが気になってしまいます。しかし、相手の良いところは当たり前のことですから、なかなかありがたいとは思わなくなります。何から何までひどい人もいるかもしれませんが、よいところもあり、だから一緒になったのではないでしょうか。相手の足りないところが腹立たしくなりますが、それはなるべく気にせず、反対に当たり前に良いところをありがたく思う方が楽になります。
 当たり前のことをありがたく思う、これを意識的にやってみましょう。幸せになる近道であることは間違いありません。

(2)他人と比較するのをやめること
  人間はまったく同じには生まれてきません。身長、体重、容姿、頭脳などそれぞれ違います。社会的にも学歴、仕事、収入、肩書、名声などは違ってきます。持ち物も違います。家、土地、車などなど、さらに配偶者の有無、子供の有無なども違います。
 それらのことが違うので、自分と他の人とを比較してしまうというのは、ある意味自然なことかもしれません。しかし、実はこれが不幸を招く原因となるのです。
 自分と他人を比較し、自分が上回っていれば優越感を持ち、劣っていれば劣等感を感じるわけですが、問題なのは常に上には上がいる、ということです。では、例えば世界一の金持ちになったら幸せなのか、というとそうとは限りません、お金はあっても家族がいなかったりすると、それだけで不幸を感じてしまう、それが人間というものです。人間の社会でお金は非常に大切です。お金は無いよりあった方がいいのは間違いありません。しかし、今の日本でもお金持ちが必ず幸せとは限りません。家族がバラバラだったりして、本人は不幸に思っていることもあります。そういう人は貧しくとも仲がよい家族をうらやましく思うことでしょう。
 もう一つの問題は、どうしても比較して自分にないこと、また自分が持っていないもの、を気にしてしまう、ということです。例えば若い女性で考えてみます。まず彼氏がいるいないで比較して、自分にいないと不幸に思います。彼氏がいたらいたで友達の彼氏と容姿を比較したりしてしまいます。結婚したら自分の夫と他の人を職業や収入で比較してしまいます。収入がよくても子供がいないと、引け目を感じてしまいます。しかし、子供がいればいるで、今度は他の子供とデキを比べて、劣っていると思ったらガッカリしていまいます。つまり、どうしても他の人と比べて劣ってる方が気になりますし、また、当たり前のことはありがたくないですから、他人と比べて自分にない、ことがとにかく気になって、不満の種になってしまうのです。
 今、日本で別荘を持っている人はごく一部のお金持ちだけです。あの人は別荘を持っていると聞くと、へーお金持ちなんだねーと思いますし、うらやましいと思う人はいるかもしれませんが、自分が持っていないからといって不幸に思う人はいません。しかし、もし仮に世の中の人大半が別荘を持っているとしましょう。そうすると、自分は別荘を持っていないとすると、とても不幸に感じてしまいます。
 しかし、これはよく考えると不思議なことです。ある時は別荘が無くても問題ないのに、ある時には無いと不幸に感じる。自分にとって別荘が必要か不必要かが基準ではなくて、他のみんなが持っているか持っていないかが基準になっているのです。
 これは人間としては自然な感情かもしれませんが、不思議なことでもあります。他がどうかよりも、自分が必要かどうかを大切にすべきではないでしょうか。反対にみんなはいらないと言っても、自分が欲しければそれを得るために努力する、ということはよいことだと思います。基準はみんなではなくて、自分に置くべきでしょう。
 やたらと他人と比較するのではなく、自分の基準で判断する、これが必要なことなのです。

(3)人生の目的とは何か、を確信すること
 反対に人生不幸になるには簡単です。前述の(1)と(2)の逆を行えば簡単に不幸になれます。
 ・常にあるものは当たり前でありがたいとは少しも思わず、反対にないものがあれば不幸に思う。
 ・常に他人と比較して、劣るところがあれば不幸に思い、他に人があるのに自分にないものがあると不幸に思う。
 この発想を続ければ、間違いなく不満だらけの人生になります。
 しかし、この(3)は少し違います。というのも、人生とは何かと特に考えなくてもそんなに不幸にはならなかった時代が続いたからです。
 第二次世界大戦に敗れて、日本は焼け野原になりました。しかし、そこから日本は高度経済成長を達成します。子供の時は貧乏だったけど、働けば働くほど収入が増えて、いろんな物も買えて、どんどん生活が豊かになっていきます。右肩上がりですからそれだけで人生の満足感は高くなります。これが団塊世代でした。
 昭和の終わりにバブル経済が破裂して、日本は低成長の時代に入ります。しかし、ほぼ横ばいの経済が続けられました。このまま平行で、世の中というのは過去と同じように進んでいくのだろう、と感じていたのが団塊ジュニア世代です。この時もいかに生きるかというのはあまり問題になりませんでした。世の中のみんながやっていることを、過去の通りにやればいいんだと思うだけでした。

 しかし、世の中は徐々に変わってきていました。さらにリーマンショックも起こり、経済は平行どころか下向きになる、そして、自分たちの生活も下向きになるのではないか、という恐れを日本人は抱くようになりました。加えて非正規雇用者が増え、若者は自分の親の世代の生活水準を維持できないと感じさせられます。みんながみんな右肩上がりの人生を送ることはもうありません。それどころか、過去の通り、以前は当たり前であった生活を送ろうとしても、まず当たり前の仕事、収入がありません。ここにきて、日本人は人生どう生きたらいいのだろう、そして、人生って一体何のためにあるんだろうか、という疑問を強く感じるようになりました。
 表面上は特に生活に困ってる人も多くありません。娯楽もたくさんあります。しかし、現在の日本人の多くが漠然と不安を感じているのは、つまり自分の人生はどう生きるべきなのか、何のために生きているのか、という確信を持っていないからなのです。

■神道における、人生の目的とは…
 先に申し上げておきますが、人生の目的というのは答えは一つではありません。人それぞれです。絶対の正解はありません。
 ただ、それは自分で見つけなくてはなりません。学校では教えてくれません。科学技術がどんだけ進んでも、どういう原因で人間が生きているという現象はわかりますが、何のために生きているのかという回答は出てきません。メディアで流れてくることをそのまま信じて流されていくととんでもないことになります。結局は商売ですから、いいように利用されるだけです。
 実はその答えは宗教に求めるしかないのです。
 「人生の目的なんてわからないんだし、考えても無駄。とにかく今自分が生きているんだから、楽しく生きていけばいい」といった人間がいました。今の日本人には多いかもしれませんが、それは解党ではなく、答えを先送りしただけです。楽しいうちはいいですが、もし困難な状況に陥ると結局悩むことになります。
 だから、どこかの宗教に入りなさい、ということではありません。自分が考えたものにする、という人もいるでしょう。それでよいと思います。大切なのは人生の目的が何か、はっきり自分で認識し、そして信念を持つことです。そのことで日々の生活に何をすべきなのか、何を頑張るべきなのかがはっきりして、充実した生活を送れるのです。
 宗教もいろいろあります。キリスト教ではキリスト教の人生観がありますし、仏教は仏教の、ヒンズー教はヒンズー教の人生観があります。
 それでは、神道の人生観はどうなのか。何が人生の目的なのだろうか、それを次のページで語っていきます。

 (次ページ) 神道における「人生の目的」とは

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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

★教会長中島の本が出ました!
 日本人が伝えてきた心、そして生き方を、神道、神さまの話を中心としつつ、語った本です。相当な時間を掛けて作り上げました。ぜひ一度お読みください。

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